テレビ東京のアナウンサー田中瞳が、2025年6月をもってモヤモヤさまぁ~ず2のアシスタントを卒業した。
それまでの歴代四人のアシスタントの中で自分の最もお気に入りとなったのがこの田中であり、長らく適当に見ていたモヤさまは、再び、欠かさずしっかり見る番組に格上げされた。
今回は、彼女の担当した間のモヤさまを振り返る。
本稿を書くにあたり、最初期のモヤさまを少しだけ見返したところ、今とは段違いの面白さを感じた。
深夜番組の気軽さ、いつ終わるかもわからないから何をやっても良いという背景故の勢いがあったのだろう。
やがて人気番組になり、歴史を築いた後のモヤさまは、ずっとその、最初期の「眩しくて戻らない瞬間」を、戻れないと知りつつも追い求めているのかもしれない。
三代目アシスタント福田典子の頃は、番組は暗黒時代と言っても良い状態であった。
日曜のゴールデンの看板番組として、予算はおそらく最も潤沢であり、マンネリ化していたハワイを捨てヨーロッパにまで進出する豪華さの反面、さまぁ〜ずと福田がいまいち噛み合っていない状態は、最後まで解消されなかった。
突然の退任は、福田本人が悩んだ末の事だったのは間違いないが、会社、スタッフにとっては急な事だったのだろうなというのは、6年後の五代目への交代劇がどうだったか、正解を知った今ではよくわかる。
無理矢理感動シーンにしようとしていたのが自分には痛々しくも感じられた福田最終回の久米島。
そして、謎の八週連続ゲスト回。
特別企画と言っていても、最初が二代目狩野の再登板であり、ドタバタしていることは見え見えでしたよ。
当時、さまぁ〜ずによるパワハラを降板原因とするWEB記事等もあった。
その真偽がどこまでかは不明だが、私は、八週間のゲスト企画の最後に登場した初代アシスタント大江は、さまぁ〜ずに対し、次のアシスタントのことをよろしくと、彼女の立場だから言える進言をしたのではないかと考えている。
翌年以降にあった事が濃すぎたため忘れがちだが、令和になったのはこの年だった。
三代目は平成最後の月に降板を発表し、四代目は令和元年の登板となった。
八週間挟んで時間稼ぎしている段階で、あぁ今回は新人投入かなと、なんとなくバレバレだったが、例年テレビ東京は新入社員の情報をなかなか出さないので、自分はハワイ回当日まで特定には至らなかった。
平成31年4月にテレビ東京に入社した三人の女子アナウンサーの中で選ばれたのが、田中瞳であった。
ところで、シリーズものには、三部作で一まとまりになっているものが割と多い。
宇宙刑事、バロン、超星神、平成ウルトラマン、映画モスラ、etc
三部作後の新番組、新展開で迷走することもままある(例:巨獣特捜ジャスピオン)。
スターウォーズもセラムンも、最初の三作だけで終わっていれば良かったものを。
ということで、モヤさまも四代目どうなるかなという不安はあった。
(まぁ、モヤさまの場合は三代で綺麗にまとまった訳でもなかったのだが。)
しかしそれは杞憂に終わった。
すべてが結果的にはという話になってしまうが、新人三人それぞれに華がある中で、森でも池谷でもなく田中を選んだのは大正解であった。
まさに天賦の才、それを感じたのはハワイ回の次の、伝統の北新宿回だった。
ハワイはドッキリ込みの初回なのでお客様のような部分もあったが、通常回の北新宿から、堂々とした対応、さまぁ〜ずからのフリへの平均点以上の返しは見事であった。
でありながらさまぁ〜ずを押しのけて前に出るようなこともない控え目なところや冷静なコメントもあり、その振る舞いはまさに、かつての大江の再来とすら感じられ、とんでもない新人が来たものだ、これは大丈夫だと確信させられたのである。
残念ながら、この頃の録画はあまり手元に残っていない。
自分は現在、とある機器(詳細は控える)を使いTVを録画しているのだが、当時はその導入前であり、今よりも面倒な手順を踏まなければならなかった。
重要な回はDVDになるだろうしという甘い考えもあった。
まさかDVD化が全く止まってしまうとは予想だにしていなかったのである。
アマプラ等での配信も、DVDになっている分か、初めからTVer見逃し配信の準備をしている直近の放送分だけなんだよなぁ。
令和納豆登場の水戸とか、 年末の小樽&札幌スペシャルとか、なぜ保存していなかったのか非常に悔やまれる。
当時は放送時間も長かったので、そんなに頻繁に録画していたら容量も馬鹿にならず、これは長期政権になりそうだから、たまに保存しておけばいいやといった気持ちもあったのだが、とにかく不覚であった。
この四代目のもと、番組の先行きは疑っていなかった。
ハワイ、北海道の次はどこなんでしょうねとか思っていたところ、年明けから雲行きは怪しくなったのである。
新型コロナウィルスによって全世界が混乱に陥った。
今だから書けることだが、コロナ禍の生活は、私自身にとっては案外悪い感じではなかった。
子育てに忙しい時だったので、テレワークで家族と一緒にいる時間が増えたのは良いことであった。
もとより家の中でやる趣味も持っており、また、子育て中ゆえに一人で外出するような機会も激減しており行動制限のダメージは少なかった。
幸いにも、子供はまだ幼稚園生だったので、園の行事は色々と中止にはなってしまったが、子供の後の人生への影響としては抑えられたのではないだろうか。
(これが小学校高学年以降で、修学旅行中止とかであれば影響甚大。)
IT技術の導入が遅れていた職場に、一気にテレワーク環境が整備され、Web会議等が普及したことは、その後ずっと助かっている。
また、職場の飲み会系の行事は大嫌いなので、なくなったことは本当にありがたかった。
そしてテレワークを行う中で、当初は職場側のシステム整備が不完全だったこともあって、私用PC、それもいつも変なことで使っているメインPCとは別のサブPCを活用しようという気持ちから始まった、Linuxの利用。
これは眠っていた熱を呼び起こし、今なおLinuxを触ることは趣味のようになっている。
もっとも、ディストリビューションをインストールして、どの程度軽くてどの程度実用に耐えるかを試すぐらいだが。
なんで自分の事を書いたかというと、コロナ禍のモヤさまについてはそんなに書くことがないのである。
もしまだアシスタントが福田だったら、番組があっさりと終わっていた可能性もあったのではないかと思う。
とは言えまだゴールデン枠だったし、田中に変わったばかりでスタッフがなついに満ちていたのだろう、試行錯誤が続いた。
休館中の博物館系の施設を回るとか、散歩ではなく自動車で回るとか、思い出すと色々やっていた。
進行としてそういった新企画を切り回すことになった田中は、本当にうまくやっていたと思う。
アナウンサー二年目とは思えない安定感。
さまぁ〜ずを完全に制御しており、結果的にはこの間に二人からの絶大な信頼を勝ち取ったのではなかろうか。
あと、大分記憶がごっちゃになってしまっていたのだが、一度規制が緩まって、GoToトラベルとかやっていた頃に、会津若松や湯河原に行ってたんだよね。
あの当時の状況下で番組としても頑張っていた。
この頃は髪型がショートになり、ショートカット好きな自分は非常に嬉しかったのだが、しかしどうしても外回り番組にはマスクが付きもの。
その一点では、コロナ憎しという気分であった。
マスク取らないとならない食事シーンでは目が画面に釘付けであった。
いつの間にか日本の国力も衰えてしまっており、徐々に外回りが出来る状態に戻っても、番組予算もかつてのように潤沢でないことは一目瞭然であった。
深夜番組でもハワイやシンガポールに行けた時代とは変わってしまったのである。
番組は、やはり色々と限界が訪れたか、度重なる放送時間変更に見舞われることとなる。
日曜夜→土曜夜中→火曜夜中→土曜昼と落ち着かなかった。
本当にこの四代目田中時代は、世界の歴史の中でのタイミングが悪かったなといった感じで、そこは残念としか言えないが、そんな中でも試行錯誤を続けたのは評価できる。
半年に過ぎなかったが、土曜早朝にやったスピンオフ「あさモヤさまぁ~ず2」には大きな可能性を感じていた。
遠方へのロケが出来ず、どうしても既訪エリアに行きがちになるところを、ローカルエリアに行ってみるという試みは良かったし、早朝番組だからか、かつての深夜の頃のようなゆっくりとした雰囲気が出ていたのは私は好きだった。
あさモヤ要素は終了後も残しておくと言っていたけど、結局立ち消えになっちゃったんだよな…
徐々に規制も緩まったが、多くの人が見るテレビ番組であるということも響いたのであろう。マスク着用は長い間続いたので、可愛いお顔を見られずイライラしたものだ。
そんな中ではあったが、田中本人が経済キャスターとしても成長したタイミングで、SDGsスペシャルという新基軸ができたのは番組にとって幸運であった。
局のキャンペーンに乗る形で結果としてそこそこ遠方へのロケが実現できたのはうまいやり方だと思った。
番組15周年記念で池袋で開催された展示会には私も行くことが出来た。
特別な1,000円自販機できっちりと記念ソングCDをゲットできたのは自慢である。
放送時間変更はあったが、番組の内容としては安定していた。
三人の息が合っており、そういった意味では安心して見られる番組であった。
やがてようやくマスクも取れ、コスプレのような事も本人割とノリノリでやってくれるので、眼福な回が多々生じるようになった。
DMMとコラボしてハワイ、沖縄に行けたのも良かった。
沖縄はまだしも、ハワイはもうこのような企画に乗って行くしかないだろう。
福田がテレビ東京を退社する時にゲストで呼べたのは意外であったし、嬉しかった。
それまでも歴代アシスタントのトークショーなどには出ていたけれど、番組への登場は希少だったので、やっぱりわだかまりがあるのだろうと思っていたので、実際にはどのような裏事情があったのかはわからないが、久米島の時以上に、本人がすっきりとした表情を見せたのは関係者皆の救いになったのではなかろうか。
上下変動は激しくないが、安定した長期政権。
ただ、そうなってくると、そろそろ交代ではないかという予感も生まれてくるのである。
そんな最中の、結婚の報であった。
相手は誰なのかなというのはやっぱり気になるが、そこは非公開というのがZ世代のしっかり者という感じも受ける。
でもエッセイ集発売にタイミングを合わせて、本の中でも結婚に触れるってのは、ズルいよねぇ。
下手なことを書くとポリコレ勢から叩かれるが、当番組のアシスタントとしてはやはり未婚女性というのが大きなポイントであるので、これはそろそろ番組からも、と受け止めた人々は多かったのではなかろうか。
人出不足が騒がれる昨今だが、2024年度はテレビ東京のアナウンサーにも退社が相次ぎ、アナウンサー不足が深刻化していた模様であり、久々の中途採用も行われた。
(そう言えばこの退社ラッシュの先陣こそ福田だったよね。)
田中のモヤさま降板は時間の問題だったのだろうが、最終的に引き金を引いたのが大江とは、何の因果であろうか。
大江麻理子退社に伴い、テレ東の看板番組WBSはキャスターの変更を余儀なくされることとなった。
各種情報によると、次期メインの最有力と目されていた相内優香は昼の時間帯の勤務を希望したらしく、ということで、田中瞳も2025年春の改編でメインキャスターの一人に抜擢された。
モヤさま降板発表が3月までになかったことが逆に予想外であった。
田中のWBSキャスター就任を聞いて、テレ東の局内では、次の椅子は自分ではと色めきだった人も多かったのではなかろうか(一度ゲストで出た松澤亜海など)。
しかし、モヤさまについては何もなく4月を迎えた。
彼女自身、現場を見ていたいといった事も度々言っていたので、週一回のロケぐらいは残したのかもとか私も思っていた。
実際には、収録は放送よりもだいぶ先行しているので、3月末頃には方針は決まっていたものと考えられる。
新人アナウンサーの様子を見てから五代目を決定するということで、一ヶ月ぐらいはWBSとモヤさまを並行していたのかな?
(川越、習志野、川口でそれぞれ二週放送しているので、ほとんど3月中にロケは終わっていたのかも。)
習志野市は私自身がゆかりのある土地なので、卒業発表の地として習志野を選んでいただいたのは光栄であった。
ニューヨーク、熱海+ハワイ、博多+沖縄に比べるとやはりグアムは予算と時間不足感が強いが、最終回の雰囲気は、非常に良かった。
三人とも気合が入ったロケで、最後まで仲の良さが見せつけられた。
三村が泣いたのって大江の時以来だよね?
大竹が「百点満点」と言っちゃうとは。
あからさますぎるのが逆にどうかという感想も避けられまい。
そして田中の最後の挨拶。
号泣ではなく、今後も見据えたしっかりとしたもので、テレ東のエースとしての自覚を感じられた。
大江には、両翼を担う存在として大橋がいた。
しかし田中にはそのような、相棒でありライバルである存在としてはっきり言える人はいない。
この先、背負っていかねばならないものは大きいが、頑張っていってほしい。
今後に向けて応援する気持ちになれる卒業回であった。
冒頭にも書いたが、四代目から五代目への交代の流れは、6年越しの答え合わせに感じた。
ロケの日付を調整し、番組内で卒業を発表することで公になる直前(しかも卒業回ロケは既に終わっている)にサプライズで本人に伝え、そして前任者が駆けつけて引き継ぎ式を行うという。
「恒例の」とか書いていた記事もあったが、6年前にそんな事なかったよね?
五代目アシスタント、齋藤陽。
今回も新人、というのは、あまりに想定内過ぎて、本当にそれで良かったのか、安易すぎないかという感想を禁じ得ない。
ただ、予算もない土曜の昼番組は新人を鍛える場としては丁度良いのかもしれない。
アシスタント就任を本人に伝えた際に、三村は「みんなWBSに行っちゃう」と言った。
もちろん、狩野や福田はそうでないことくらいはわかっているだろうが、彼の頭の中にいるのは大江と田中だけなんだろうなと少々寂しくも感じた。
好き嫌いがあるのは仕方ないのだけど、ちょっとはっきり出し過ぎだよね。
よりによって五代目への交代劇の最中に、福田典子に某靴職人(横綱の息子)との熱愛報道が出た。
狙ったわけじゃないのだろうけど、なんで今なのかと、驚きを通り越して笑ってしまった。
しかも福田、いつの間にかテレ東の次に入った会社辞めて、離婚もしていたとは。
彼女にとって、福岡から出てきて投入された番組がモヤさまだったのは、良いことだったのであろうか。
モヤさま第五シーズン、最初の数回を見た感想としては、とても慎重に扱われているなといったところである。
世の中の雰囲気も変わり、特に昨今はパワハラ・セクハラで終わる芸能人も多いので、さまぁ〜ず自身も慎重になっていると思われる。
自分の子供ぐらいの年齢の女性をいじめてもいい気分はしないだろうし。
福田の人生のモヤモヤっぷりに、自分達の責任も感じてしまっているのではなかろうかとも勘ぐってみたり。
齋藤は決して二人に嫌われそうなタイプではないと感じたので、まずは我武者羅に取り組んでいただければ良いのではなかろうか。
もはやコロナを言い訳にもできず、番組自体、いつ終わってもおかしくない状況だと思う。
少子高齢化により、市井の登場人物の高齢者率が高くなっているのも地味に気になっている。
果たして番組が真の長期化を果たすかどうかは齋藤次第であり、五代目も引き続き応援していきたい。
mixiへの投稿を修正し再掲 2025年8月